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食品サンプルと岩崎瀧三の物語


岩崎瀧三
いわさきたきぞう

(1895-1965)

 

「すゞ、できた」

「まあ・・・どっちが本物かわからんくらい・・・」

 

 昭和7年、いわさきグループの創業者、岩崎瀧三が、はじめて食品サンプルを完成させたときの妻すゞとの会話が瀧三伝「蠟の花」に記されています。

 妻が食品サンプルの試作用に台所で作ったオムレツはあまりできがいいとはいえませんでした。しかし、そのしわまでも忠実に再現された本物と見間違えるほどのリアルさ・・・。食品サンプルが与えるその驚きと感動は今も昔も変わりません。

 食品サンプルが発明されたとされるのは大正末期から昭和初期。現在、そのはっきりとした誕生の物語を記した資料は残念ながら発見されていません。ほぼ同時期に異なる場所の複数の研究者や職人の手により発明されたといわれています。

 その後、百貨店の食堂の流行とともに食品サンプルは日本中に広がり、日本の外食文化には無くてはならない存在となりました。

 岩崎瀧三が食品サンプルと出会ったのも昭和初期。まだ食品サンプルは食品模型や料理模型と呼ばれ、本格的な事業化はされていませんでした。瀧三は試行錯誤を重ねて製造方法を編み出し、昭和7年、岩崎製作所を大阪で創業。以来、高い製造技術ときめ細かいサービスにより食品サンプルの商品価値を高め、全国へと広めました。

1号記念オムレツ

 当時は今のように欲しい情報がすぐには手に入らない時代。“食品サンプル屋”は、時に、食の流行を伝える伝道師の役割も担いました。日本中の飲食店で、「東京の店ではこんな料理が流行っているらしいですよ・・・」「よし、うちでもやってみようか」食品サンプルを見ながらそんな会話がサンプル屋と店主の間で交わされたという昔話があります。

 1970年代後半~80年代にかけて、食品サンプルはその素材を蝋(ろう)から樹脂へと変え、活躍の場を広げます。蝋製の食品サンプルは熱に弱く、直射日光の当たるショーケースの中では溶けてしまうこともありました。それに比べ樹脂製のサンプルは耐久性が格段に向上し、また、型材にシリコーンを使用することで細部の精細な表現も可能となりました。

 一方、時代の変化とともに食品サンプルの役割も「単なる料理見本」から、視覚で飲食店の魅力を瞬間的に伝える「販売促進ツール」へと変わっていきました。「リアルさ」の追求とともに、より高度な「おいしさ」の表現力が求められるようになっていきました。

 そして現在、日本で生まれたその独自の技術と文化は、海外からも注目を集めています。

 日本の豊かな外食文化に育まれ、ともにその歴史を歩んできた食品サンプル。材料や役割は変わっても、今も変わらないのはそのほとんどが高度な技術とノウハウを持った職人たちによる“手づくり”であるということ。その手づくりならではの独特な温みと味わい、伝統の技が演出する食品サンプルの世界を是非あなたも体感してみてください。

 

参考文献

高田英太郎 著「蠟の花-模型王岩崎瀧三伝-」

野瀬泰申 著「眼で食べる日本人」/旭屋出版


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